Feb 202012

友人のルサンチマンを憶ったときこれも所謂扁桃体の暴走かしらと機能異常を考える姿勢がつまらないんだよ。手前で恥じろよと車を走らせた。 Continue reading »

Jan 262012

坂を下る途中の道路脇にある気温計が-2℃を示しており標高が数百メートルさがった陽射しは暖かく感じるのだったけれども、標高300メートル前後の市街地では昼過ぎから雲が覆い青空は消えて徐々に寒くなり風も出てきたので、標高千メートルは凍っていくだろう。
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Jan 182012

あまり喧しいことを言わなかった父親が東京に来て酒を呑みに行こうとはじめて誘われた私は二十歳をすぎていたかどうか。十九だったかもしれない。仕送りして貰っているこちらとしては赤提灯で馬鹿みたいに父親の財布の方を心配していたと記憶にある。後に聞いた話では放蕩息子を芸術の方面へ遊ばせたことに関して父方の親戚すべてつまり今は亡き伯父や伯母たちが末っ子の世間知らずな躾に眉を顰めたらしい。共稼ぎで家政婦に育児を任せた後ろめたさが母親には強く残り、学校に入った頃に大きな気持ちを残しながら主婦専業へ身を翻したけれども母親は息子の髭が伸びはじめても好きなようにさせると父親よりも先にすべてを決定していたようだ。 Continue reading »