June 10, 2005

keystation

keystationが届き、早速鍵盤に指を乗せると、タッチセンサーによる音の強弱も得られて、サンプリングの併置で音を並べていた編集と明らかに異なる音の連なりが立ち上がるので、今さらに驚く。PC上で自動録音にして、真白な状態で指が動けば、動く度に違う形が生まれる。短いセンテンスを切り出して、音自体の加工は、指の動きと全く異なる行為だが、連なりが選ぶ場合もある。apple roopのテンプレートも、よく聴けばなるほどこのように作られている。
静寂が隣にあるような音単独の起立状態へと連なりを切り詰めることが、当面の課題となるが、こちらの白い状態が少々寂しいので、いくつか楽器単音が主体のインストルメンタルを選んで聴く。
気持ちが良かったので、こうした音への取り組みを最近の仕事に追加することに決める。
GarageBandの使い勝手の良さをはじめて知る。結局どのような音でも作ることができる。面倒だがインターフェイス関連の効果音も地味に作るか。
夕方から、学校帰りの娘らに奪われたが、これが音自体への好奇心を募らせるのであれば、時々奪われてもよい。

投稿者 machida : 03:49 PM | コメント (0) | トラックバック

June 03, 2005

Before deep sleep

Charles Sheenがキレる、Under Pressure(1997)のVHS(¥350)を先日買ったままにしておいたのを憶い出して、やはり朝方になって観る。脚本がつまらない。
amazonで発作的に注文した、平原綾香のThe Voiceと、Salyuを交互に聴いて、詩の意味性が突出していた自身の青年期の音楽と違って、音自体、声自体への繊細へ作る側も飛躍してしまったのだなと感じる。いわばモノ派へというわけか。
Contax G1の試写も兼ねた撮影の、現像とプリントが出来上がったので、ヨドバシカメラまで受け取りにいく。久しぶりに、ライトボックスの上でループを覗き込むと、フィルムの色の重さを実感する。やはりデジタルは何か色彩が軽い。
ひどい眠気が襲う。随分とこうしたどうしようもなさは無かったが。熟睡へ身体を誘うようにしなければいけない年齢になってきたのかもしれぬ。
朝風呂で、本を読む時に字がぶれているのに気付き、きっと浴室の灯りが暗いからだろうと、デスクの前に置いて眺めると、同じようにぶれており、眼鏡が必要になってきたかと呆れたが、昼過ぎにはくっきりと元に戻るので、一日ぶれが続いた時に眼鏡を考えようと決める。
具体的なアプローチは棄て、抽象を選ぶ時間しか私には残っていないなと地下鉄でぼんやり思う。

投稿者 machida : 03:05 PM | コメント (0) | トラックバック

May 12, 2005

愚鈍な歩み

幼少の頃、山村の借家の庭に座り込み、地面に穴をあけて泥を練る独り遊びの自身の写真があって、おそらく父親が撮影したのだろう、仕事の合間の探し物の時に見つけて眺めた。10歳になる頃は、ピアノのお稽古と平行して、まだ若かった父親の影響だろうか、はっきりと覚えていないが、書道塾に通い、生意気な眼差しで、皆の習いを下手糞と蔑んだ記憶がある。手本の上に半紙を置き、透かして筆を垂らすことを独りで繰り返して、物まね自体が醜い行為だという自覚が生まれたのも、まだ下の学校のやんちゃな餓鬼の時と記憶している。
高度成長の活気に溢れる時代のニュアンスは、スマートな格好良さを皆が求めたが、それまでの事実を覆い隠す翳りが必ずその不格好な即席の中にあった。フォーマルな道など成熟させる時代ではなかったので、つまり、皆が臨機応変な倫理でその場をあやうく凌ぐように生きていた気配は、子供でもわかった。
自身は稚拙で、凡庸な類態で結構だが、一度座り込んで練り始めれば時間を忘れる楽しさを、ゲルマニウムラジオや、油絵、自転車の改造など、簡単に目の前に見いだしていたものだ。その浸りが、結局こうも長く自らを支配するとは、当時は考えてもみなかったが、それがこちらの本性と諦めても、今は辛くない。
仕事を合理的に進めることは、だからこちらの性分に合わないということになる。GW明けから取り組みはじめた仕事も、計画を幾度か白紙に戻す有様で、だがそうしないと先へ進めない。ひどく愚鈍な歩みで情けない。とまあ、実はにやにやしている。だから、自身に因んで優秀なスキルとはつまり、達観や閃きではなくて、歩みを疑わぬ実直さでしかないと、最近つくづく思う。

投稿者 machida : 03:58 AM | コメント (0) | トラックバック