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<title>Soul</title>
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<copyright>Copyright 2010</copyright>
<lastBuildDate>Thu, 11 Feb 2010 08:49:41 +0900</lastBuildDate>
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<title>金魚鉢</title>
<description><![CDATA[<p>　いつだったか、モニター画面が金魚鉢だなと思ったことがある。モンゴロイドTVというオブジェを制作し、北極圏で狩りをする人間が光を遮蔽し遠方の獣を探すための道具に倣って、TVを鉄板の箱の中にいれて、細いスリットから画面が少しだけ見える、アンチTVを画廊に置いて、横にはたしか金魚鉢を併置していた。</p>

<p>　今となって、TV番組など観ることがなくなって、食堂などの部屋の隅の、天井寄りに置かれた、汚れたブラウン管から放映されている様子を眺めて、「あの中」という世界があるのだなあと、やはりまた金魚鉢を思ったものだ。</p>

<p>　実家で両親の生活にはTVが欠かせない人生の一部となっていることがわかり、それについてひと欠片の疑問を持たない老夫婦は、それはそれで幸せなのだろうと考えることにした。<br />
　だが、長い時間あの「金魚鉢」からの恩恵のみに従っていれば。言葉も感覚も意志も「金魚鉢」からの模倣であり、それ以外は、別の時間、別の世界から取り寄せなければ、それだけということになる。</p>

<p>　放送メディアの恐ろしさは、そうした自覚があるにしても、自省の仕組みを分かりやすく構築しない。結局絢爛豪華な金魚鉢作りに勤しむわけだ。いずれ街行くTV愛好家たちと、アンチTV派の別世界からの享受系とは、いわば相克して、いつか絶縁し、使う言語すら異なったものとなればいい。<br />
　</p>]]></description>
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<pubDate>Thu, 11 Feb 2010 08:49:41 +0900</pubDate>
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<title>一族郎党</title>
<description><![CDATA[<p>　どこまで厳密してよいものかわからないが、娘から数えて祖父母を中心に、簡単な系譜図をつくてみると、こちらからしての（つまり妻のほうを数えずに）姪甥から曾祖父母まで辿ると、約100名を超す。<br />
　三、四世代前は、いずれも兄妹が多く、末端がその分広がるので、全ていれると、10倍に膨れる。各同伴者を一度の婚姻で系譜が結合されるとして、こちらの世代で従兄弟たちの連れ添いの家系図が重なり、つまり、四世代、高々百年の人間の営みによって、2000人以上の一族郎党が、なかなかよくは見えないが、実は位相的に構造されているわけだ。<br />
　三世代以上が同居する大家族というものが、前世紀末に消滅し、核家族となって、この一族郎党というスケールも、実質的に認識されないし、父親に聞いても、曾祖父母の兄妹の名前を失念していたり、祖母方の詳細を知らなかったり、付き合いも無いまま過ごして不都合はなかった。こちらとしても、久しく会っていない従兄弟の連れ添いの出自、家族等、名字もしらない。<br />
　こうした系譜の重層的な構造を知った上で数十万の人口の村や町の共同体はと考えると、これもひとつの一族郎党みたいなものだ。他者同士の共同体でありながら、この位相構造が、何か精神的なものとなって、共同体を支えるのかもしれない。<br />
　勿論、ある世代の、誰かがアウトサイダーとなって、こうした環境を壊す要素を持ち込み、あるいは、持ち出して、系譜の血流は、時に異系を育むわけだが、家族という関係性や付き合いもその場その場の都合で、認識の度合いは強弱があるにしろ、適宜省かれ、削除され、絶縁まで至っても、構造はそのまま大きく横たわって広がりながら持続する。<br />
　然し、親族という関係性の馴れ馴れしさは、例えば父親や、祖父母の戦前、戦後を生きた世代にとっては、時に、五月蝿くて羞恥にまみれたこともあり、そういった馴れ合いからの逃走劇として核家族化を考えることもできるし、それ以降も説明はできる。明治後半から人口が急増した大正、昭和初期までの、固有な全体の流れが、こうした様々を生み出して、わたしに娘がふたりいるというわけだ。でもここで、娘ふたりが別姓へ嫁に行けば、姓名としての系譜は娘の世代の婚前で途切れるということになる。なるほどそういうことで、系譜などということを考えるのは、こちらの位置的な義務として降ったということか。</p>]]></description>
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<pubDate>Sun, 17 Jan 2010 10:47:43 +0900</pubDate>
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<title>最近のお子様仕様</title>
<description><![CDATA[<p>　ファンタジー寓話などの最近のお子様仕様には、ほとほと辟易すると、正月がっつり大人の複雑な読書探求をしたゲンタよりメールがあり、これは購買を促進する為の悪しき退化の顕著な現れだと、こちらも、娯楽小説の原文を裏読みしなければ先に進めない、しょうもない翻訳家のものを途中で放り出して、誰にでもわかるという所謂「安易」なつくりもの、そこへ投入する、日々低下する技術の、なんとも情けない傾向を重ねた。</p>

<p>　子供たちと大人が対峙する現場での撮影の仕事があって、この現場は以前より、こどもたちにたいして、大人は諭し、あるいは命令し従属させようなどと勿論しないと、戒めているので、こどもたちが自由に動くスペースを提供することだけに集中している。こどもたちは日々の、親や環境での抑圧の箍がはずれたようで、目元に炎が灯ったような顔つきで、初めて押し付けがましい説明の無い世界に放り出され、途方に暮れることを即座に生存のエネルギーに蓄え変え、野生の獣が世界を眺めているような、実に美しい探検者の行動を開始する。</p>

<p>　彼らに分かりやすい寓話など必要ではないと、つくづく感じるし、未熟な大人の了見で、甘いモノを差し出すのは、せいぜい祖父母だけでよい。<br />
　アニメに氾濫している（のだろう。よく知らないが）、友情やら、愛やら、正義やらは、つまらない大人風情が、こどもを丸め込もうとする「毒の罠」であり、勝手に考えさせたほうがいい。ただし、どういった環境で、思考の芽を育ませるかが、本来の大人の役割であり、それ以上の役割は勘違いというものだ。</p>

<p>　早熟な小学生は、サド伯爵を読むことのできる時代である。そしてとかく、ものを考えははじめているものは、日々の風評、風説などには興味を無くし、固有な視線が生まれるが、共有できるものでないから孤立せざるを得ない。大人は余計なことをせず、その孤立を助けなければいけない。</p>

<p>　この場合のサポートは、固有なる眼差しの孤立を持続させてあげることであり、それを安易に理解することではない。かれらの持続の結果、その行方がどうなるかは、かれらの人生が決めることであり、大人が決めることではない。</p>

<p>　</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2010/01/post_66.html</link>
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<pubDate>Sat, 09 Jan 2010 17:24:44 +0900</pubDate>
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<title>生活あるいはインテリア</title>
<description><![CDATA[<p>　引っ越して白で統一した新居を満足そうに眺める主婦の足元でまだ小さい子供が泣いている。いかにも、なにか起こりそうな風景だが、この生活の取得、所有の欲望を充足させる、例えばインテリアの色を揃え、キチンをシステム統一し、皿やフォークナイフも、合わせて誂えるという、ごく現代的な仕草（小さな幸せ）は、ガンダムコレクターと同じ、崩れとして、違和をともなった嘔吐感すらある。血の流れた案件の乱雑に散らばる倉庫の中行き来するような雑駁混乱の業務から帰った夫は、この妻の一方的な誂えに安らぐのだろうか？ふいに金属バットを購入し、徹底的に妻の白い城を破壊することも想定のうちに入る。足元の子はそれを隅でじっとみている。</p>

<p>　営みが、悪徳手法であっても慈善手法であっても、まず成功し、長い時間「耐えてきた」貧しいような生活を刷新する。あるいは、ようやく手にしたまとまった金で、これこそが本来の目的であったという意気込みをその場かぎりで構築し倹しく生活を整える。ようやく夢に描いた生活を手に入れたと、肩の力を抜く。同じような達成に似た表情が、まだ新しいような夜の灯りの数併置される。それらはどこか腐りかけた果物のような趣がある。</p>

<p>　自身には馴染めない感覚であるのは、青年の頃から変わらない。人様の家庭に訪問すれば、相手のそういった人生の欲望の形は、すとんと分かるものだが、豪華であっても理屈があっても、羨望や関心、興味を覚えたことはない。崩壊を生活に顕す人々の、性癖のインテリアともいえる、ものに溢れる混乱や、公私の境が曖昧な商いの営みにも、主人の物言いが実直に表象されているだけで、自らとの距離は同じく遠い。人の数だけ、好き勝手でよろしいのだが、ある種のテンプレートの数に収まる気持悪さがあり、選択と決心の口上を聞いても、皆が同じ流行の口語口調で同じようなことしか言わない。</p>

<p>　借物のインテリアに住まい、本など読まずTVから聞き覚えた借物の口語体しか話さない、先進国の「大人」たちは、どう贔屓目に眺めても、羨ましい存在ではない。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/12/post_64.html</link>
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<pubDate>Sat, 12 Dec 2009 10:31:58 +0900</pubDate>
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<title>語り口調からの促し、あるいは写真の速度</title>
<description><![CDATA[<p>　目の前の対象に対峙して語るという文体の、いわば口語にて、平素の小説文体との差異を示す事で、あの「小説」という記述の濃密さとは何かを、逆説的に誘うような、振り返って再び想像力を駆使するよう求める効果のある、速読が可能な古井の「人生の色気」という新刊の続きを新幹線で辿り、その延長のベッドに横たわって楽な姿勢で瞼も閉じた受け身の姿勢も萎えた枕元で、静かに呑気に数十年の回顧を、まず大袈裟な虚構寓話を切り捨てる「嘘はどこにもない」という近親の者よりも近しい声を聴いているような気分となり、その清明さがいよいよ、あるがままに見える写真のようだなと感じていた。つまり、こうした語りの声は、写真集を捲る寡黙な能動をナヴィゲートするナレーションというよりも、泡沫（うたかた）のリアルな気づきの知覚となる。<br />
　あまりに消化の楽な、感嘆よりも、「そうですね」という自明さをあらためる頷きの連続の聞こえの中で、こちらの知りようがない、経験の過程が歴史的に欠損している戦前戦後のことであっても、語りには事実以上を踏み越える力みはないから、記録写真を眺めるような実直な響きが、むしろしたのだと思った。<br />
　エロスへの危惧の声には、老人の柔らかな精の漲りが感じ取れたが、危惧の中に示されたような、恋愛至上主義的な目つきの絶えた状況を経験的な地平として最初から踏みしめていた世代者としては、そういわれても死滅する雄のベクトルは、くるりと反転して、性差の膜を取り抜けてしまっている。語りへ弱く答えていたようだ。</p>

<p>　語りの中だからこそ、そうでないでしょうと、つけ込むように印象の言葉を転がす程度が、仕組まれているとも感じられたけれど、こうした誘導自体を言語の仕掛けとしてひとつの正当性が感じられるのは、これも哀しいようなリアルなのだからと、介護するような膝に置かれた手首を夢想してから、身体を横に背けた身動きを最後に短く覚えたまま、深い眠りに就いていた。</p>

<p>　駅に降りたって埠頭と大して気温差がないことを残念に感じていたことを、早朝の冷え込みもそれほどではない濃霧の街をとぼとぼと歩きながら憶い返し、フィルムでもデジタルでも、どうでもいい。撮影自体が、いってみれば、移動の足がかりの小さなことだと、むしろ白く結露するカメラを求めるように外気に曝しつつ、やや乱暴に歩いた。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/12/post_65.html</link>
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<pubDate>Wed, 02 Dec 2009 06:06:08 +0900</pubDate>
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<title>只管</title>
<description><![CDATA[<p>反復がただただ「只管」であると思うようになるとき、危ないという危惧、反復感の重怠さ、剣呑がうまれる。<br />
懸命な「只管」であっても、その正当性は、反復への信仰のようなものでしか証されないのだろう。故に、「只管」は、ふいに「呪詛」のようなものを奏で始めるものだ。<br />
もしかすると、「只管」とは、人間の悪しき行いに近いのかもしれないと思う時がある。植物のような植生の「只管」とは訳が違うということだ。</p>

<p>デジタル大辞泉の解説<br />
kotobank デジタル大辞泉 只管とは<br />
ひた‐すら【只＝管／一＝向】<br />
 ［形動］［文］［ナリ］そのことだけに意を用いるさま。もっぱらそれだけを行うさま。「―な思い」「―に弁解する」<br />
［副］<br />
１ ひとすじに。いちずに。「―研究にいそしむ」「―無事を祈る」<br />
２ まったく。すっかり。<br />
[用法]ひたすら・いちず――「ひたすら（いちずに）芸に励む」「ひたすら（いちずに）歩き続ける」など、そのことに専念する意では、相通じて用いられる。◇「ひたすら」は、もっぱらそのことだけを行う意で用いることが多い。「ひたすらおわびいたします」「ひたすらお願いするしかなかった」◇「いちず」は気持ちのあり方に重点があり、他を顧りみず、一つの事柄だけに打ち込む意で用いることが多い。「いちずに思い込む」「勉学いちずの毎日」◇類似の語に「ひたむき」がある。脇目もふらず一つの事に熱中する意で、「いちず」に近い。「ひたむきな態度」「ひたむきに生きる」</p>

<p>とかく、成熟は、この「只管」な姿勢に支えられ成就すると考えられているけれども、その反復が支えて育てたエゴのような「呪詛」が、その成熟には忍び寄る。だから、「只管」であることを、反復の中で都度戒めないと、いつのまにか悪しき鎧を纏った恨み節が聴こえてくる。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/11/post_63.html</link>
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<pubDate>Fri, 20 Nov 2009 16:28:09 +0900</pubDate>
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<title>捕獲・所有の眼の</title>
<description><![CDATA[<p>　時間差でやはり次女も新型インフルエンザに罹ってしまった。が、受験を控えているので今のうちのほうがよいから、ゆっくり治せばいい。と、こちらも週末になるとどういうわけか嘔吐感が戻り、苦しめられるほどではないが、理由を考えていた。</p>

<p>　雨の日が続きそれなりに腐っていたので、晴れた朝から歩くと、晴海でおっさんどもが幼気な女子にポーズをつけてカメラを構える所謂撮影会というのだろうか、レフを股に挟んで汗を流し、いたる場所で、いいよ〜いいよ〜と行われていて、その会場となった埠頭の晴海客船ターミナルを横切りながら、ペニスのようなレンズを浅ましく構える薄頭の親父たちの、実に分かりやすい好奇に尖った獣の眼というものは、まだ幼さの残る女にとっては、受け止め易いのだろうなどと思った。</p>

<p>　少々異常ではあると感じたのは、雄カメラという捕獲の眼ではなくて、その砲列の前に身を曝して光を浴びる少女たちの側の、後になれば愚痴をこさえてアルバイトと割り切ってから、もうそのように見られてしまっている自分の肉体のどうしようもなさに、責任がもてないと放り出すニュアンスの滲みであり、この匿名同士のカメラが介在する雄と雌の罪悪のような気配に、全体が馴染みすぎているのではないかと、奇妙な違和感が残った。家族連れも歩く埠頭だったが、やはりこの異様な関係性の空間に近寄ろうとしていない。フルチンで走るより、猥褻感が漂うが、当事者たちはそれを理解しながら、恥と思わない。<br />
　グラビアという撮影を営みとする撮影者の技術的な成熟もあるだろう。だがなんとも稚拙で、在る時気づいて死にたくなるような気がしないでもない。人ごとだが。</p>

<p>　と、こちらは、対象を探すような歩きと撮影をしていないから、あの思春期のような浅ましさは、どこか羨ましい気もしたが、歩く程にそんなものは消えた。<br />
　トリトンでカプチーノを飲み、バイクショップでパーツを見てから戻る。まだ冬ではない。</p>

<p>　</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/11/post_62.html</link>
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<pubDate>Sun, 15 Nov 2009 16:00:52 +0900</pubDate>
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<title>つるむ</title>
<description><![CDATA[<p>つるむとは共犯関係を結ぶという意味で、盗人など犯罪者の隠語として江戸時代から使われていたらしい。<br />
現在では、共犯関係を結ぶこと・仲間と一緒にいることという使われ方をしているようだ。</p>

<p>類語辞典では、<br />
ー雌雄・若者などがつるむ<br />
交尾する ・ （性的に）関係する ・ くっつく ・ （カップルが）ベタベタする ・ イチャイチャする ・ 親しくする ・ （親しく）つきあう ・ いつも一緒 ・ キンギョのフンのように～<br />
悪徳企業・悪党などがつるむ	結託する ・ グルになる ・ 手を握る ・ （良からぬことを）申し合わせる ・ 談合する ・ （悪党どもの）共演 ・ 輪舞する ・ 狎（な）れ合うー</p>

<p>日本語俗語辞書では、<br />
ー1970年代には暴走族を組んで暴走行為をすることを指すようになり、ここからグループで悪さをするなど、不良少年の間で広くつるむが使われるようになる。ここまでは犯罪性の有無は別にして、一緒に悪いことをするという意味で使われたが、1980年代に入ると「悪いことをする」という部分がとれ、単に一緒に何かすることや、一緒にいること自体をつるむと言うようになる。昭和まではある程度の結束や仲よく一緒にいることが前提であったが、平成に入ると単に一緒にいる・とりあえず一緒にいるといった場合にも使われるようになるー</p>

<p>三省堂 大辞林では、<br />
ーつる・む 2 【〈交尾〉む/〈孳尾〉む/〈遊牝〉む】<br />
（動マ五［四］）<br />
「つるぶ」の転〕動物の雌と雄が交尾する。 <br />
「犬が―・む」<br />
つる・む 2 【▽連む】<br />
（動マ五［四］）<br />
「つるぶ」の転〕連れだつ。行動をともにする。 <br />
「往来を―・んで歩く」ー</p>

<p>あがつま語（群馬県吾妻郡を中心に用いられるあがつま方言）<br />
つるむ<br />
[多]＝連む＝行動を共にする、仲間になる<br />
辞書の索引用語の索引</p>

<p>などがある。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/11/post_61.html</link>
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<category>water desk</category>
<pubDate>Mon, 02 Nov 2009 00:01:27 +0900</pubDate>
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<title>獰猛な叢</title>
<description><![CDATA[<p>　いくつも夢をみていたがすぐに忘れたようだった。地下鉄の中で、森の中を歩いていたなと思いだした。街を歩いても何か物足りない。ノスタルジックな現れにもあまり気持ちが動かない。人の姿にも、地と血が結ばれているような歩みでないなと感じるのは、この夏に土地と結ばれた人間の姿を追いかけていたせいと思った。<br />
　夢の中、手に持っていたのは枝のようなものだけで、それでどうにかなる体感があった。季節はわからない。浮遊・浮浪の日々が導くのは、意識の外側への誘惑というより、もっと強い促しであり、久しぶりの都市は意識化の迷彩、迷路にすぎないと感じる。あの窓の中、その箱の中、皮膚を溶かしたようなヒトたちが、どうでもいいことに熱狂しているのがつくづく奇妙だ。この違和感は、やがてこの迷彩に取り込まれてしまうのだろうか。なるべく早いとこ、獰猛な叢へ歩みこんでいかねばならない。残り時間もあまりないし。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/10/post_59.html</link>
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<category>dream</category>
<pubDate>Thu, 22 Oct 2009 23:43:46 +0900</pubDate>
</item>
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<title>41年前の柳</title>
<description><![CDATA[<p>　実家の北側を裏と呼んでいたが、今はその裏側の川向こうが随分と開発され幹線道路が突き抜け、表側だった南側の交通量の減った道路からいくつも大きな建物が撤去された。その裏側の川の河川工事が数ヶ月行われ、季節には蛍を見物に遠くから人も訪れていたのにもう駄目か。近所で災害には代えられないがと囁かれている。工事も終わり、コンクリートで深めに掘られた川底と川縁が、あからさまとなり、土砂や叢で長い時間を過ごした幼少の記憶も工事と共に削り取られたような気分の景色となった。それでも近くの高等学校のランニングコースとなってジャージ姿の子供たちが汗を流して走り、早朝年配の夫婦などが連れ添ってウォーキングをしている光景は、この川が及ぼす環境の、或る種豊かさを今でも感じさせる。</p>

<p>　家族がみなそれぞれ自家用を持つと言って過言ではない車社会であるこの地方都市のあちこちを、車で移動しながら場所を楽しむことばかりしていたと反省し、徒歩で川沿いを下ってみることにした。ベビーブームで新しい小学校が新設され、学区が変わった為、5年間通学した小学校から、友人たちと別れてワックスの匂いのきつい明るい教室の新6学年となり、新しい友人と短い時間を過ごした。川の下流を三つほど橋を越えると5年間過ごした校舎があり、立て替えられているが、校庭の柳が巨木となってまだあり、その大きさは記憶と比べるとほぼ倍、否3倍はあるか。三つ目の橋から下流は、河川工事がかなり以前のもので、記憶の中の校庭の縁にあった滑り落ちて遊んだ土手は潰されていたが、河原は叢で鬱蒼としており、川縁も小径のようなものがあるだけで、過去へ遡る道のようだ。校庭では子供たちが休日野球で声を響き渡らせて走り回っていた。柳に近づいてみようかと一度はカメラを向けたが、なんだか惜しい気がして、次の機会に近寄ろうと、通り過ぎていた。<br />
　歩きながら柳の下の7歳から10歳あたりの記憶が溢れ出し、洪水のような勢いで断片が連結していくので、帰り道は何も眺めた記憶のないまま気づけば机の前に座っていた。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/10/41.html</link>
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<category>touch the spirit</category>
<pubDate>Sun, 11 Oct 2009 23:34:04 +0900</pubDate>
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<item>
<title>レイヤー</title>
<description><![CDATA[<p>　親の血を引き受け、サラエボなどの激戦区で希少な戦場女性報道カメラマンとしてキャリアを積み上げた40歳の主人公が、香港で、13ヶ月前に失踪した双子の妹が描かれた、死体を描く不詳画家の絵画に出会う場面からはじまる、Dead Sleep (2001) / Greg Ilies (1960~)の、上下で計￥2で配達されたもの（中古扱いだが、新品だった）を、列島横断という妙に気分がよろしい(災難にあわれた人もいる)台風一過の寒気が流れ込み気温の低下した朝方、風呂の中で長い時間捲っていた。<br />
　冒頭をかじっただけだが、冒険活劇風のせわしい展開の、チープな娯楽プロットには、設定や状況の強かに準備された描写に無理はないので安心して楽しめる。と、風呂を出て濡れた身体にタオルを拭いあてているときに、パリでハルタカが、こちらの手にしたビデオカメラを指差して、それで一体どうするっていうの？と尋ねた、あの心持ち首を傾げた柔らかいような笑いの含まれた言葉が、くっきりと聞こえるように思い出された。</p>

<p>　およそ12,3は歳の違う同姓同名の作家を、大学の友人と勘違いして、妙に若作りな作家活動を再開したものだが、少々妙だ。あちこち調べていたこともあり、音信不通の過去の友人たちが浮かびやすくなっていた。トーストを2枚焼いて口にしながら、レイヤーのようなことだと考えていた。</p>

<p>　店に行けば廉価なプラモデルや、複雑なマニア向けの高価なものまで、金さえ払えば手に入る。同じ様に、次々と開発される新製品で、写真を撮影し、映像を記録し、また、油絵の具と画布を購入して日曜画家の仲間入りも簡単だ。入り口はひとつのベーシックな層としてあまりに安易に転がっており、単純な手続きでそのレイヤーの主にはなれる。手法構築を成熟させるレイヤーもあり、オリジナル達成というレイヤーもある。そこまでは、入り口からそう遠くないが、さて、ではこうした達成を一体どうするかという次元の違うレイヤーに気づくととき、それまでと全く違った取り組みの基盤を、別サイトに広げなければ、つまり、レイヤーの重層化ではどうにもならないとわかる。<br />
　昨今の中小企業の受注の軸を成す生産フォーマットの持続は、親会社の利益右肩上がりにのみ支えられているという幻想を信じる構造であったが、これは勿論脆く崩壊している。故に再生を誓う中小企業は、独自マーケットを構築する必要を考え始めている。反復で技術を蓄えた人間が、誰かに縋るような表情を捨て、全く異なった地平を睨んでいる精悍な顔つきが、巷では広がっているように思える。</p>

<p>　カメラを持って撮影することと、出来上がったイメージをどうするのかを考えるのは、全く違う思考であり、その異なった思考横断をする立場というものの、さまざまな現れが今後目につくようになる。これは、写真に限ったことではないけれども。<br />
　撮影と選別、オブジェ化までを、異なったスタジオで、時には歩き回り、ときに籠り、繰り返してきてようやく、みっつめの立場において、責任のような気分も働かせ、「これをどうするの」という問いに答えたいものだ。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/10/post_58.html</link>
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<category>method</category>
<pubDate>Fri, 09 Oct 2009 21:20:07 +0900</pubDate>
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<title>清潔</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="200px-Jonas_Mekas.jpg" src="http://park.or.tv/blog/archives/img/200px-Jonas_Mekas.jpg" width="200" height="300" align="left" vspace="5" hspace="5"/><br />
もともと映画制作には膨大な金が使われているから、その価値として観るに値する。そういって映画館で金を支払い、DVDをレンタルする。制作に関わる大勢のスタッフの総意を、スクリプトとカメラにまとめる監督の仕事は、その関わるボリュームに比例して、岐路に立たされる。それが最近気になりはじめた。ひとりの仕事ではなくなる岐路というわけだ。抱える人間を喰わせなければいけない。売れるものに仕上げなければいけない。などと。<br />
震える映像作家、<a href="http://www.jonasmekas.com/">jonas mekas</a> (1922~)を、やはりまた、考えていた。</p>

<p>　男でも女でも、独りならば、清潔を保てる。この清潔とは、意志に近い。ノーマルでもゲイでもせいぜいカップルが、その清潔を保つ限界かもしれない。否、この最低数の組み合わせにこそ、「独り」を乱す因子が多く含まれることは、これまでが示している。無論、群れとなれば、ひとりの清潔は知らぬ内に陵辱され失われる。あるいは群れの中で、ひとつの潔癖を主張すれば、なにか妖しい集団を牽引する響きと変わる。</p>

<p>　美術作品を眺めていると、プロダクトや映画などと違ってたったひとりの「清潔」が示されているから、その弱々しさ、あるいは無邪気さ、あるいは未熟さ、あるいはその狂気、またあるいはその凡庸、比類ない固有。などといった表情に、恋愛感情に似た誘いを感じる。それはたったひとつであるからだ。全く異なったものへの届かぬ思慕ともいえる。</p>

<p>　ひとりの人間の足掻きにしろ、手慰みにしろ、偏屈にしろ、たったひとりの清潔が、幼児のような儚さのままであっても、出鱈目な手法であっても、偏愛と看做されても構わぬと行為されていれば、ひいては持続されれば、その痕跡のその清潔の醸すフェロモンは、妙にセンチメンタルなニュアンスを纏って、独房で長い時間をかけて告白するような途切れ途切れの言葉のように、存在からの波長となって辺りへと反響し、自らも弱く震え、やがて清潔は結晶のようなものになる。それを手にしても冷たい無限が凍り付いた鉱物だが、ひとりの人間とはそういう存在ということだ。</p>

<p>　そのヒトが、どのような服を着て、どういった声をして、いかなる性癖があり、どうやって生存を果たしたかということは、その時代を生きる人間と似ているというだけにすぎない。あるいは家族だけが知る存在への慣れでしかない。そのヒトは何を遺したかという、遺されたコト、モノに、そのヒトの清潔が現れる。然し、そういった異形への憧れも果てる頃、自らがたったひとつの異形の存在と知らぬまま年齢を重ねるのは、あまりに辛い。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/09/post_57.html</link>
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<category>new spirit</category>
<pubDate>Sun, 27 Sep 2009 23:33:59 +0900</pubDate>
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<title>男たちの肖像</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="Jeremy_Ratchford.jpg" src="http://park.or.tv/blog/archives/img/Jeremy_Ratchford.jpg" width="240" height="300" cspace="5" hspace="5" align="left"/>共同で生まれるものでない。ひとつの美意識かもしれないとも考えた。</p>

<p>男社会で働く美しい女性を際立たせるまでは、これまでと戦略的には変わりない。構図としてはピックアップ型の主人公へ自己投影を促す構図で、ヒロインという位置づけだ。ただし、一話完結の安定的、幾何学的な手法を反復踏襲するフォーマットで浮かび上がるのは、美しい女性の果敢な行動というよりも、その背後（結果的に背後ではなくなる）で必ず支えている、等価な存在としての男たち肖像がある。これが徹底的に見事に抑制されて描かれている。キャスティングもそういう意味だろうと確信したくなるうまさがある。この存在の「等価」併置の、彼女を決して追いつめない環境としての、だが依然として代わり映えのしない「男社会」のどこにでもいそうな同僚としての彼らの普通さ、凡庸さ、義務に対する能力を果たす倫理など、新しいヒロイズムとして真摯に見えてくるから面白い。背後を変哲ない演技で、キャストに名が挙らないような仕草の俳優たちの表情や動きが頗るよい。</p>

<p><img alt="Thom_Barry.jpg" src="http://park.or.tv/blog/archives/img/Thom_Barry.jpg" width="240" height="300" align="right" vspace="5" hspace="5"/>録画していた<a href="http://www.cbs.com/primetime/cold_case/">Cold Case</a>を何話かまとめて眺めて考えていた。</p>

<p>だから、むしろ、キャスティングの配置されたそれぞれの存在の力の関係の差異という差別的なもの（従が主の犠牲となる）が消え失せる効果がある。これは受け止める現実的な物語として自然であり（レトリカルにそうであれという示唆も勿論ある）気持ちいい。ひとつのひとりの清楚な美意識が照らしたもののような気がする。</p>

<p>現代のこの国の「男たちの肖像」を表象と現されたものにお目にかかることはできない。ほとんどが、ピックアップされた特殊への投影を強要する幻影としてのイメージだから、あるいは単に力に対する幻だから、どれも同じですぐ忘れるようにできている。日々の男たちのどこにでもありそうな、けれど眺めと捉えい姿を、平坦な日常の中で捉える物語がなければ、いずれ全体主義的な懐古の罠の中に住むことを知らずに生きることになる。</p>

<p>ありふれた構想に仕込まれたひとつの意識の可能性を探し出すというのは、なかなか精神によろしい。<br clear="all"></p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/09/post_56.html</link>
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<category>touch the spirit</category>
<pubDate>Sun, 20 Sep 2009 05:30:17 +0900</pubDate>
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<title>子供の教材</title>
<description><![CDATA[<p>ノーベル文学賞の効果で再出版がよろこばしいル.クレジオを、こちらも最近再び捲り始め、情報も集める。なるほどと頷きの中、いまさらに娘たちがくっきりと浮かんだ。水村未苗が、若い青年の頃、自分が若いということに気づかないと書いていたことも思い起こされ、洪水、砂漠といった切迫の時代から時を経て、そんな著作など知らない子供たちへの寓話をはじめているル.クレジオの近著からも促されたかもしれない。<br />
年齢を重ねて成熟していく人間の「大人」は、どうしようもないあれこれを抱え、傷ついて黄昏れる。自らの指向が、そうした大人へ向けらるべきものなのかどうか、随分考えたことがあった。成熟には成熟を。未熟を切り捨てろ。そんな誤解は、やはり子供の存在で溶けるものだ。父親のことなど見向きもしない娘たちだが、いずれ父親が死に絶えて、親のことを憶いだそうとする時の為に、むしろこちらは今を過ごしているのではないか。<br />
撮影も、構想も、子供たちへの教材としてせっせと作っているというわけだ。<br />
だからといって、子供にわかりやすいアニメーションで今風にということでは、全くない。むしろ、こちらの抱えていることをできるだけ正確に顕し遺すべきということ。<br />
そんな、見返りの無い遠くへ放り投げるために、せいぜい偽りだけには手をださない。これが倫理というものだろう。<br />
だからまあ。大人のために働いているわけではないと、戒めた。</p>

<p>なんだか、ほっとして眠りにつけそうだ。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/09/post_55.html</link>
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<category>new ethics</category>
<pubDate>Fri, 18 Sep 2009 08:07:58 +0900</pubDate>
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<title>違和と存在の相克</title>
<description><![CDATA[<p>対立・矛盾するものが互いに争う相克を使うと、そうした対立、斥力指向を存在に内在する意味となって誤解される。存在の突出が、併置された他を圧倒してふいに景色が変わるといったらいいか。ニュアンスがむつかしい。</p>

<p>言語空間に埋没されているイメージ、あるいはその逆のイメージの従属装飾となる言語というものは、併置の主従関係に依って調和的に置かれることで、機能も力も同じように直線上に、あるいは垂直に働くが、これは、存在同士が相手を侮辱している関係であるから面白くない。この場合の相克は謀反かパワーハラスメントでしかないからだ。</p>

<p>全く異なった存在の併置という喩えとして、ランニングを終えたばかりのアスリートが汗を噴き出しながら、人間の彫像に寄りかかっているという光景が、むしろ近い。</p>

<p>言語空間の浸りをふいに切り裂くようなイメージを併置する経験があり、この時言語空間は途端に遮断され、切断され、イメージ自体の持つ、全く異なった現実感が注ぎ込まれた当初は、違和に戸惑う。この逆もあった。経験が繰り返されることで、この「違和」が、ひとつの考え方に育ったともいえる。</p>

<p>堪えた反復のうちいつしかこの「戸惑いの思想」は、違和を踏まえた「横断」の心地よさとなって、人間的な脳内の構造をつくりかえるような響きを与えるようになった。<br />
これは異形の併置を、同形併置という錯覚麻痺から、解く解毒の響きもエフェクティブに醸す時もある。</p>

<p>Conflictとは、戦い、争い、闘争、戦闘、主義･主張上の争い、争議、 論争、口論、思想･利害などの衝突、対立、矛盾 、葛藤(二つ以上の欲求が対立した心理状態)などを示すが、この概念のエッジにあるものは、全く異なった「驚きのようなもの」であるように思えてならない。</p>]]></description>
<link>http://park.or.tv/blog/archives/2009/08/post_54.html</link>
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<category>new spirit</category>
<pubDate>Sun, 30 Aug 2009 17:26:58 +0900</pubDate>
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